2011年11月29日火曜日

イワシ

今はほとんど見かけなくなりましたが、九十九里浜(くじゅうくりはま)といえばイワシの地引網漁業として全国に知られていました(農水省関東農政局)。
ときどきイワシのナブラを見ることができますが、今日のナブラは凄かった。昼頃は遥か彼方に見えていたナブラが夕刻になって足元まで押し寄せてきました。
当然に青物が穫れると期待は高まったのですが、かかるのはイワシばかり。どこに投げてもイワシイワシイワシ。
カニの餌にとひとつひとつ丁寧に穫ったのですが、帰りがけに足元を見ると砂浜がイワシだらけ、かくして私も拾い集めました。
動画でイワシのパニックぶりをご覧ください。拾い集めたバケツのイワシもご覧ください。
ミンチにしてイワシハンバーグを頂きました。のこりは目刺しです。オイルサーディンも。

2011年11月28日月曜日

ワカシ

港は入り口の浚渫が始まりました。
ギャングでもとおもって来たのですが、大きなクレーンが入っていて工事中です。
昨日はイナッコが騒いでいたのですが、今日は静か。
潮が全く動かない、三浦半島の油壷のようです。こういう日は魚はあまり期待できない。
そこで駄目もとで高い堤防からサビキを3本ばりのごつい奴を投げて2投目でゴツン。
手前に走って来るのですが、私のメジナ釣りの細いリールでは間に合わない。
必死に巻いて来たのですがなかなか近づかない。なんとドラッグが甘くて巻き戻されている。リールをフリーにしてやっと顔を出しました。あとは抜き上げましたが、これがメジナだったらテトラに逃げ込まれていたでしょう。
それほど大きなワカシではなかった。
久しぶりの釣りらしい釣りでした。回遊魚は面白い。
そのあと5分ほど投げてまたゴツンと来た。今度は竿を立てる間もなくバラシ。
その後は釣友も来たのだが誰も当たりがなくて静かな海に戻りました。
朝早くルアーで釣り上げた人がいるとかいないとか、定かなことは分かりません。
海はどちらかというとべた凪、小魚が騒ぐ風もなかったので小さな群れだったのでしょう。
今日の教訓、ナブラがなくても投げてみるべし。小さなリールの方がやり取りができる(これは負け惜しみか)。
写真はまな板のワカシです。すこし痩せている。ワカシは油も乗っていなくて、あまり旨い魚ではないので味をしっかり付けて野菜と合わせて煮物にするしかない。サバの方がよっぽど旨い。

2011年11月24日木曜日

たこ釣り

最近に発見したタコ釣りのルアーです。
ルアーとは騙すという意味ですから、これもルアーでしょう。
所謂、タコテンヤと違います。
近所のアタックで見つけました。
半信半疑で使ってみましたが、ものの1時間もしないうちにタコをゲット。
タコテンヤと違うのは圧倒的に軽いことと小さいことです。
タコテンヤは潮に流されないように30号とかの錘をつけますが、こいつは5号程度の重さしかありません。ですから潮に乗せて使うようになります。
タコテンヤに慣れているとすこし物足りないのです。なにしろ流れる。逆にそれが利点で、
タコがちょっかいを出したのがすぐに分かります。ルアーのようにすこししゃくり気味にしながら当たりを探るのですが、ちょっかいを出して来たらそこですこし粘ります。
場所によってどちらが良いとは言えないのですが、このソフトルアーの部分に生き餌をつけたら食いつきが良くなるかも知れません。
しかし下が砂地なら問題ないのですが、ごろた石のあるところは石の間に落ちてフックにかかると回収は困難です。
いまは手でヘチ狙いですが、竿とリールでも使ってみたいと思っています。
写真を追加します。25日の釣果。

2011年11月20日日曜日

釣りは上げ潮に限るかな


今日は午前中は南風、午後から北風に変わるという天候でした。
概して朝の早い時間帯は魚が良く釣れますが、今日は特にその傾向が強かった。
セイランボ(鉛筆サヨリ)80尾、チンチン(黒鯛のちび)12尾、イシモチ11尾です。それぞれ釣り人は違います。いずれもその道のベテランの釣果です。
だが、午後は全く様変わり釣り人によって違いはありますが、セイランボは30数尾、イシモチ1尾、チンチン2尾という感じです。そこで潮位グラフを見るとこのようになっておりました。
やはり潮は上げが良いようです。

いすみの蛸

蛸が捕れました。
本当にしばらくぶりで、それも2キロありました。

足は2本を刺身で頂きます。

同じくたこ壷に奇怪な魚が入っておりました。
なんという魚でしょう。砂がついてはっきり写っていないのですが。
口がものすごく大きくて鮟鱇のようだが、体は舌平目のようです。

2011年11月18日金曜日

セイランボ

セイランボが始まりました。
まだ釣果は芳しくありませんが、連日大勢の釣り人が。
タコはこの人に聞いてください。





ついでにいすみ川河口です。

堤防の工事が始まった

太東港は津波で中の堤防に被害がありました。
堤防のブロックを横堤に敷設する工事が一昨日から始まって昨日終わりました。
その光景です。


2011年10月29日土曜日

モクズ蟹はこのブログでも紹介しましたが、上海蟹の仲間です。四万十川でも販売していますが、いすみでも買うことができます。1キロ千円ですから、よその半値以下ですよ。因にある通販サイトでは500グラム1,600円でした。

漁師は橋本文吾さん、地図もつけておきます。
常時とれるとは限りませんから近くにきたら立ち寄ってください。
橋本さんの電話は0470-87-3527

今朝はまだこれだけ残っておりました。
 橋本文吾さんです。


 これで千円ですよ。
好きな人にはたまらない旨さです。


2011年10月19日水曜日

九十九里から北では伊勢エビ漁がないのだそうです。最近、千葉県が試験操業を始めたらしい。大力丸がときどきエビ網を砂防堤にかけて漁をしております。18日にペットの朝の散歩に出ると沖から大力丸が帰ってくるのに出会いました。
港で網を広げて調査を始めたので、早速邪魔をしながらエッチガニとイソッピを貰いました。伊勢エビは30尾程度でしょうか、なかにはタコに吸われて殻だけも幾つか混じっています。全部1尾ずつ雌雄を大きさを計測しておりました。イソッピとエッチ蟹はかなりの大振りです。網にかかったのはエビ、蟹だけではありません。スズキ、星ザメ、イシモチ、タコ、名前不詳の魚もあります。
網を広げて漁獲量を調査する場面を掲載します。






2011年9月11日日曜日

太東の投網

ブログの投稿、随分とさぼってしまいました。
FBの方に熱中しておりました。すみません。これFBと重なりますが、昨日の写真です。投網の名人が集まっておりました。
引退老人と現役の技比べの感がありました。成果は今ひとつです。ことしの海はどうしたのでしょうね。


2011年6月25日土曜日

アジ釣り

今朝の太東は天気予報と違って晴れです。
高い堤防には5、6人もの人たちがアジやカマス目当ての空サビキで 集まりましたが、2、3投して引き上げました。
潮が悪いのは一目瞭然、この辺りの人は目が肥えてますから(?)釣れるつれないの判断は非常に早いし間違わない。
小潮で潮が動かない、南風が吹いて水温が低い、潮の色が悪い。あとは海流の影響で沿岸部に良い潮が近づかない限り外海の釣りは駄目らしい。
昨日は1キロ強のタコが朝夕それぞれ1尾穫れました。港の中は潮が悪くても多少の動きがあるようです。
明け方からのアジの釣果です。これは私が釣ったのではなく、お友達からのお裾分けです。いつもは50尾は下らない人たちですが、きょうは2、30尾というところでしょう。バケツごといただきました。今日は孫が来ると言うと分けてもらえるのです。
ところで写真では良く分からないのですが、ここのアジは大原や勝浦のアジと色が違って金色です。三浦半島の松輪のサバは金色で味が良いので評判です(一尾数千円します)。
太東のアジもタコに続いてブランドにすれば良いのにと思います。太東のアジはよそのアジより数段も旨いのですから。
小さいというのが通評ですが、そんなことはありません、私は空サビキで30センチクラスを釣ったことがあります。

2011年6月21日火曜日

アジ釣り、いすみ

アジ釣りの季節ですね。空サビキの堤防でもぼちぼち釣れ始めました。ときどきうれしい外道も(外房だから何が来てもおかしくない)。
添付のようにアジ釣りフェスタ、大原港から舟でアジ釣りです。7月31日(日)、大人4000円、子供2000円ですが、参加賞がすごい。いすみ市内で使える振興券が大人3000円、子供1000円つきます。実質、大人子供ともに1000円です。
問い合わせ先はいすみ市農林水産課水産振興班、電話04-7062-1280、ファックス04-7063-1252。
いすみ市のWebページはhttp://www.city.isumi.lg.jpです。
直接に友達のいずみ丸の自宅(04-7087-7834)でも受け付けるそうです。

2011年6月15日水曜日

ワカメとカボチャ

大分に久しぶりです。仕事とFBにはまっていました。

今朝は前から気になっていた港の岸壁についてワカメを穫りました。ライフジャケットをつけて腹這いになって穫るのですが、すこし要領があって苦労しました。
ゆがいて、茎の部分はキンピラ風、葉の部分はポン酢が美味いそうです。これは四国の松山にお住まいのFBのお友達に教えていただきました。
裏庭のカボチャが大分大きくなりました。今年も嫌というほどカボチャを食べることになるでしょう。

最後にいすみの夕焼けです。

それでは皆様お元気で。
追伸。そうです、今日は6.15です。樺さんが南口通用門でなくなった日です。私もその現場にいたので、忘れられない日です。
これから犬の散歩です。


2011年5月16日月曜日

岩牡蠣

最近、facebookにはまって投稿をさぼっておりました。
それに魚が釣れないのです。海には毎日散歩で行きますが、釣り人にインタビュー「釣れてますか」、あまり良い返事がありません。だが、早朝ならばすこし気配があるようです。

それでも先週はヒラメを釣った人が二人いました。
私はそれほど辛抱強くないし、夜中の12時に釣りをしたくもありませんから、ヒラメはあきらめております。
だが港の中にはイワシとおぼしき小魚が群れております。だから熱意のあるひとはヒラメに挑戦してみてはどうでしょうか。フッコはときどき投網に掛かっております。

そんなわけで確実なのが岩牡蠣と蟹です。あっ、それからタコ、小さいですが何匹も釣った人がいました。それでも一日岸壁沿いに行ったり来たりです。これは私には向きません。不思議なことに魚釣りに熱心な人はあまりタコはやらないようです。まだタコ釣り名人が出て来ていないので、時期ではないのでしょう。

さて岩牡蠣ですが、テレビで見るような大きな奴ではありませんが、テトラや石垣にくっついています。いままでは無視していたのです。小さくて身がないと思っていました。ところがさに非ず。コンクリの盛り上がったところを無理矢理はがすと牡蠣の固まりがとれます。その名の通りかき落とします。そうすると土台の部分がかきなんです。かきはかきの上にかきがついているのです。
これを家に持ち帰って金槌でこつこつ叩いて余分な付着物を取り除きます。余分な付着物というのは小さなかき、陣笠のような貝、カラスガイの子供、海藻、蟹などなど海の豊かさを感じます。それに様々な虫が隙間から出ています。虫と言ってもイソメとかの類いです。にょろにょろとでてきます。これにもめげずにカキだして牡蠣だけにします。

小さい奴でも殻いっぱいに身が入っているのでそれを水で洗って生で口に入れるもよし、焼いてもよしです。

それも面倒ならば、海で金槌で割ってそこで喰っても旨いです。多分これが一番旨い喰い方だと思う。

2011年5月14日土曜日

アジ釣り

アジが釣れ始めました。
港の中に数センチの小魚が泳ぎ回っています。浮き草が流れ着いてあちこちに浮いています。土地の人によるとサバ、イワシの稚魚だそうです。
このチビの下にアジが群れているようです。
だれもアジ釣りなんかしてないのに最初に始めた人に敬意を表したいですね。それにアジも結構に大きいアジです。ロウニンアジの子供とおぼしき稚魚も投網に入ります。
投網ではコノシロが掛かりました。25センチくらいの大きな奴です。

タコは200グラムくらいのがときどき採れています。昨日は3匹採れました。放流だと言う周りの意見を無視して昨晩いただきました。

昨日は蟹が全然だめでしたが、今日は採れそうです。

そろそろといすみの海に夏が来ています。

2011年4月23日土曜日

ふかせでイシモチ

浮きでイシモチを釣る人がいました。さっそくに真似しました。
最近、海はうねりが強くて投げてもゴミが仕掛けにかかって流されます。外側の高い堤防からだと波をまともに被る。
ところがそんな海でも堤防から数メートルのところでイシモチが釣れていました。中には3号くらいの錘で周りを凌いで独り釣り。これは参考になりました。さらにトンネル先では浮きで釣ることができるのだそうです。足元が深いからでしょう。
この辺りではそういうポイントは少ないのです。
だが、港の中の堤防からふかせで釣れます。相当に思い錘でないと流されますが、それでもふかせが面白い。
ベテランによると潮が巻いているようなところがポイントなんだそうです。
そんな処は古い堤防、私はボッカレ灯台と呼んでいます。
小さなポイントですが、そんな処を探して釣るのも池でフナのポイントを探すようで面白い。

2011年4月17日日曜日

いすみ鉄道

遅いけど、花見に行くか、と女房とバック&アキ(ゴールデンと雑種)、連れ立って山の方に出かけましたが、八重桜と山桜があちこちに見えました。
東京のようにソメイヨシノ一点張りでないところが好ましい。計画的に植えたのではないから探しながら。これもまた佳い。

途中でいすみ鉄道に出会いました。カレンダーみたい写真ですが。

2011年4月13日水曜日

IAEAの資料

千葉県民としては、福島原発の事故が気になるところです。
仕事でslideshareなるものを使っておりますが。そこでこんな資料をみつけました。IAEAの福島原発にかんする報告です。日本語に訳すことはとてもできませんが、定期的に更新されています。バイヤスの掛かっていない情報です。
Status of Fukushima Units
View more presentations from IAEA

2011年4月9日土曜日

いすみのイシモチ アサリ ハマグリ

暖かくなって先々週辺りからイシモチが釣れ始めました。いまの時期は大きいのが沢山釣れます。なかにはクーラーに入り切らないと嘆く人も、餌が足りないという人もいます。
別に冷蔵庫の事情で頂いたのではありませんが、お裾分けのイシモチです。

真ん中のは30センチを越しています。

ハマグリも大きいのが穫れています。聞くところによると駅の傍のスーパーではちょっと大きめのハマグリがひとつ250円だそうです。それをバケツに一杯採る人もいます(採れることもあるということですが)。不思議なことにハマグリは大きいのが沢山採れるときと、ほとんど採れないことがある。二枚貝の行動範囲は以外と広いのでしょう。潮に流されるのか、自分で泳いで行動した結果なのかはわかりません。二枚貝が泳ぐのは承知していましたが、これほどとは思いませんでした。

断っておきますが、ハマグリは道具を使って採ることは禁止されています。魚釣りの外道としてハマグリが採れるのです。ハマグリは貴重な漁獲物です。なにしろ元祖ハマグリの潮焼きと看板を出しているレストランもあるくらいで、地元の漁師の貴重な収入源でもあります。むやみに採ることは慎まなくてはなりません。

採る人一人にもらう人数人のあさり漁
それはアサリも同様です。この辺りはアサリが採れることはなかったそうですが、海が汚れて採れるようになったものです。もちろんアサリも漁具を使って採ることは禁止されているのでしょう。良く分かりませんが、採れます。今どきは寒いのでサーファーのスーツを着て潮干狩りよろしくやっています。特筆すべきはここのアサリの大きさと美味さです。殻が大きいだけでなく身がぎっしりと詰まっています。それがまた美味い。木更津のアサリなんか問題になりません。しかし外房でアサリだって問題だなー。

2011年4月7日木曜日

外房のヒラメ

太東港も被災しましたが、いまは毎日のようにヒラメの水揚げが盛んです。
聞いた話では房総のヒラメは独特の網で穫るので味が良いのだそうです。とったヒラメの半分は「活き」に分類されています。それに「きず(傷)」という分類もあります。傷がついている個体です。まさに瑕ものです。ときには6.6キロなんて大物も揚がります。
今は漁師も機嫌が悪い、組合で分類する親父も機嫌が悪い。

千葉産の魚も市場で敬遠されるそうですが(朝日新聞)、瑕ものどころではありません。
この辺りは銚子の先で海流が岸から離れるので放射能は関係ないそうですが、心配です。

写真は今朝のヒラメです。

2011年4月4日月曜日

米国人の被災者、a letter from American victims in Tohoku

I got a message from my friend from U.S. , she quoted the letter from her friend now in Japan and suffered from this disaster. 
Hoping not violating her privacy I can't stop to pick up a part of the letter.
She is so sensitive and calm in this disastrous accident.

私の直接の友人ではありませんが、米国にいる友人が東北の友人から受け取った手紙です。
この観察力、優雅さに感激して引用します。

She wrote, i don't have any slight acquaintance though.


There are strange parallel universes happening. Houses a mess in some places, yet then a house with futons or laundry out drying in the sun. People lining up for water and food, and yet a few people out walking their dogs. All happening at the same time.

Other unexpected touches of beauty are first, the silence at night. No cars. No one out on the streets. And the heavens at night are scattered with stars. I usually can see about two, but now the whole
sky is filled. The mountains are Sendai are solid and with the crisp air we can see them silhouetted against the sky magnificently.

And the Japanese themselves are so wonderful. I come back to my  shack to check on it each day, now to send this e-mail since the electricity is on, and I find food and water left in my entranceway. I have no idea from whom, but it is there. 



ヒラメの漁が再開、イシモチも

カメラを持って行かなかったのが残念、
まだ2隻だけしか見えなかったが、
今朝は久しぶりに大きなヒラメの水揚げがありました。

陸釣りでは、イシモチの尺上が釣れています。会社を休んで木曜日、金曜日、土曜日と連日、すでに日焼けばっちりの方もいます。だが日曜日はどういう訳かだめ。やっぱり会社は休まないと釣れないというのはその方の弁。

どういうわけか、アサリが大漁というのもうれしいですね。場所は秘密。皆に叱られる。

2011年3月25日金曜日

太東港 堤防決壊

東日本の大震災でこの港も大被害を受けました。漁船が数艘流されて、未だ行方不明の舟があります。転覆したら青い腹を出すだけですからもう見つからないたろう、今頃はハワイ沖の太平洋のごみために向かって流れているだろうともっぱらです。
漁船だけではなくて堤防もやられました。中にある堤防が跡形もなくなったのです、いまでも引き潮になると頭を覗かせています。

最近になってこれの除去作業が大きな台船を使って始まりました。実は大震災の前から港の底にたまった砂の浚渫で港に停泊していたのですが、仕事が変わりました。

ということで、昨日は一番手前のケーソンの引き揚げを大きなクレーンをつかってはじめたのです。そしてその結果が下の写真2枚です。吊り下げ50トンの筈の鉄骨の腕(クレーンだから首か)がぐんにゃりと曲がって、その挙げ句に切断。
浮標の浮いている辺りに堤防があったのです。
また大きなゴミを出してしまった
左にあるのがケーソンの残骸です。

2011年3月21日月曜日

いすみのカレー屋さん

大原にインド料理のレストランがあるというので出かけました。なにしろ釣りはまったく駄目ですから。
アスリというお店です。丸の内のではありません。大原です。丸の内にアスリというお店があるというのはもちろん知りません。第一、美味しいものを食べるのに金を払うとか、探すとかいうのは愚の骨頂と思っていますから。まずいものを食べるのは大嫌いですが。

まぁ、それはともかく女房どのの口コミで大原にちゃんとしたインド料理の店があるというので出かけました。
インド料理というと麹町の昔の日テレの脇にあった(今でもあるかも、昔は九段にあった、その当時は手作りみたいな机と椅子がおいてあるだけだった)アジャンタくらいしか知りませんが、汚くて死んだネズミの匂いがします(今はもっと奇麗かもしれないが)。でもここのカレーは本当に旨かった。

そんな先入観と偏見でお店に入ってびっくり、奇麗だし、変な匂いもしなかった。スパイスの匂いがいっぱいのレストランです。
さてお味は、大変に結構です。ランチメニューはカレーが4種類、食べ放題でナンとご飯がついて980円です。すこし注文をつけるとカレーが辛くない、ナンが上品すぎる、甘すぎるくらいでしょうか。
場所は大原の海水浴場のそばです。

2011年3月15日火曜日

原子力発電のリスク

釣りと多いに関係があります。
海がきれいでないと釣りにならないからです。もうすこし踏み込むと自然との営みが釣りだからです。
原子力発電は自然には存在しないエネルギーを人類の英知を尽くして作り出した筈なんですが、いま起こっている様々な事象はあまりにも片手落ちというか思慮に欠けた結果ではないか。
子供が模型飛行機をつくって空に放ったのに手元に戻す方法を考えていなかったようなものです。官房長官はしきりに管理したもとで、と言っているがはたしてそうだろうか。4号機の給水エンジンが別の作業をして戻ってみたら燃料がなくなっていたという。これでは管理された復旧作業とはいえまい。命の危険を晒して実作業をしている人たちが管理されているとは思えない。人の命をなんだと思っているのだろう。東京電力がである。
計画停電も同様です。あれはとても計画停電とは言えない。大規模停電が恐くておろおろしているだけで無計画停電です。事故時の体制がまったくできていなかったことを露呈した。
今回の地震のマグニチュード9というのはたしかに想定外なのでしょう。しかし高さ10メートル強の津波も想定外なのでしょうか。マグニチュード9を超える地震はすでに起きているし高さ10メートルの津波は明治三陸地震で軒並み起きている。大船渡では22.4mを記録している。
十分に予測可能な地震と津波なのである。それなのに原子力発電所をそこに作ったのです。原子力発電をするための想定外ではなかったのか。
じゃ何故作ったのか、買う人がいるから、需要があるから、作ることができるから作ったとしか思えない。作った電力はもちろん産業を興したり生活を支えるために必要だったのでしょう。しかし野球を夜やったり、銀座や歌舞伎町の競わんばかりの光の洪水、不夜城をつくったのです。
これは奴隷制に支えられたローマのコロシアムに比較することができます。その奴隷制は今は何が相当するのでしょう。自然破壊ではないでしょうか。


百歩譲って、今回の地震は想定外だったとしましょう。だが想定外のことが起こるとこういう無様な結果になるというのはどうしたことでしょう。
リスク管理の専門家ではありませんが、リスクはそのことの起こる確率と起こったときの損害を掛け合わせたものです。非常に小さな確率であっても起こった結果の損害が大きければ非常に高いリスクがあるので、そのための対策を考えなければならないでしょう。
どうも想定外というのは、その先のことは考えないという想定外のようです。
1960年代から70年代にかけて、その後も原子力発電については安全性の面から反対する意見が原子力研究所(いまの独立行政法人原子力開発機構)の専門家のなかにもあったように記憶しております。
原子力発電や核のエネルギーの利用はこれからの時代に絶対に必要なのでしょう。どうか日本人の優れた英知を結集してこの恐ろしい経験を世界のために活かして欲しいとおもいます。



2011年3月14日月曜日

太東港、沈没船の引き上げ

いすみ、太東港の回復は急ピッチです。
今朝は転覆していたかずえい丸を引き上げました。潜水夫がロープを廻してクレーンで引き上げ。その時の写真です。脇に立っているのが潜水夫です。
このあとも港のなかの障害物にブイをとりつける作業が進んでいます。
もうこの舟は使えません。漁師にとってはおそらく唯一の生活手段でしょうから、これからが大変。
しばらくは釣りも自粛です。

2011年3月13日日曜日

太東港の被害

11日の津波でかなりの漁船が被害を受けました。津波警報で沖に舟を出したところは無傷でしたが、停泊していた舟は内陸まで押し上げられたり、その場で転倒したり、中には沖まで流されて海上保安庁の連絡があった舟もあります。
浜にあった漁具やコンテナも流されました。飲料水のベンディングマシンははるか1キロ先の海岸に打ち上げられています。
水揚げされて卸業者が買い取る前のタコの大きな桶が行く方不明です。タコは命拾いをしました。あるいはまだ港の中にいるのかも。
あるいはまだ桶の中か?
動画は港の奥に腹を出して浮いている漁船です。舟主は呆然と眺めるだけです。
津波が来たときの様子は友人のブログに掲載されています。


2011年3月4日金曜日

タコ漁

タコ漁が終わりになりました。去年の12月から2月までがタコ漁の期間でした。
2月14日にNHKでいすみのタコ漁が紹介されて大原の食堂は忙しかったようですが、このっサイトのタコ漁のブログが急にアクセスが増えたのには驚きました。一日に数件だったものが20件近くに急増しました。テレビとインターネットはずいぶんとつながっているものです。この舟はすでに登場したことのある海鷹丸です。港の入り口近くに作業場があって冬の間はそこでタコを茹でていました。
初めて知ったのですが、タコはぬめりを取らないと生臭いのですが、漁師は専用の洗濯機を横にしたような機械でそれこそ真っ白になるくらいまで洗ってぬめりを取ります。それからドラム缶のような大きな鍋と薪で炊きます。そのゆで汁がえんじ色になって良いにおいがします。捨てるのがもったいないくらいです。


いま港は砂を浚っています。年に数回は浚っているのですが、今回は台舟を入れて浚うようです。クレーンで浚っているのはその台船をいれるためだそうです。この辺りは砂の流れがあって港の中に流れ込んでくるので場所によっては底が見えるくらいまで浅くなっています。漁船が座礁することもあるのです。
漁港ではありますが、その水揚げは微々たるものでとても港の維持費は賄えていないでしょう。
連坊さんに見つかったら槍玉に挙げられそう。でも浚渫を止めたら大きなコンクリートの残骸が残るだけですね。

2011年3月3日木曜日

中国通になりませんか

寒くて釣りどころではありません。年寄りには寒空での釣りはだめです。そこで今日は本の紹介です。
高校時代の世界史の先生が中国近代史(現代史かな?)の専門であったのでみっちりと試験で鍛えられました。ですから蒋介石とか毛沢東、張作霖などの名前を教わりました。もちろん漢文の授業もありましたから杜甫や李白にも親しみました。
本当言うととても恥ずかしいとも思っています。それはアメリカ人などの西欧の人とは仕事をした関係で友人もいてその気質や考え方についてホワイトカラーだけでなく滞在先のホテルのメイドさんやバーテンさんなどからも伝わって来ています。もちろん映画や読み物からの情報がおおいのです。
しかし現代の中国については天安門とか餃子事件、近くは尖閣諸島の騒ぎなどから知ることは多いのですが、中国の全体像についてはものすごく曖昧で捉えどころのない印象しか持っていません。何しろ権力については中国共産党でひとからげにしか分からないのですから。またその政治と経済、解放軍、人々の生活ぶり、また日本で一緒にIT関係の仕事をした人(非常に優秀でした、コンピュータサイエンスについては私なんか足元にも及びませんでした)もいるのです。
しかしながら、全体としては混乱するばかりで、支離滅裂でそれらの間に一貫した脈絡をつけることができないでいます。それが余計に中国に対する不安の原因にもなっているように思います。
大方の日本人が同じように感じているのだと思います。
そういう方々に絶好の本があります。私の大学時代の先輩が書いた本ですが、いつの間にこれだけの知識と経験を積み上げたのか、この2月に出版されました。
なにしろ内容が多いので少しずつ読んでいる状態ですが、「中国人はいかに思考し、どう行動するか」中島一著です。通常の本屋で見つけるのは難しいかもしれません。中国人、中島一でアマゾンを検索してください。本屋で立ち読みしたのではこの本はもったいない。

2011年2月6日日曜日

千葉に越して1年

千葉に越してきて1年経ちました。
ここらで総括しておくのも良いかなとおもいます。
これから移住してくる方の参考にでもなればという思いもあります。

1.移住者
引っ越して来て最初に出会った言葉が移住者です。その移住者はいずれも都会で仕事をして引退、もしくはそれに近い形で移って来た都会人です。移住者というのは、それを迎えた地元の人たちから見た言葉です。となりのお年寄りは、疎開して来た人たちと申しておりました。

移住者と在来の人たちの間に目に見えない垣根があります。特に私の世代は子供時代に田舎に疎開した経験や友人からその話を聞いております。だがこのような意識は呪縛のようなものだとおもって、こちらは意識しないように近所の付き合いをしました。私はうまい具合に進んでいるのだと思います。
どの移住者も同じような思いはあるので、そんな話を移住者同士で話すことがありました。皆の話しによると、この辺りでも垣根の高さが大分違うようです。この岬町は垣根が低くて、もっと奥の国吉あたりではかなり垣根が高いそうです。
岬町はそういう意味で開かれた土地で、それは海に近い所為かもしれません。

2.老人クラブ
釣りが好きなので、犬の散歩もかねて港には毎日でかけます。そこで釣りをしているのは地元の人もたくさんいますが、移住者も多いです。
そこで気がついたのですが、ゴルフとかそういった遊びをする人はあまりいなくて、いろんな遊びを知っています。パチンコも当然あるのですが、私から見ると、私が子供時代にやっていたような遊びを大人がやります。竹細工とか、植木とか、家の修理なんかもありますが、釣りは最たるものです。そんな遊び友達が集まって老人クラブのような感じになっています。土地の人と一緒に布袋竹の竹林にいって杖を作って来た友人がいます。こんどは尺八をつくるので一緒にやらないかと誘われます。
都会で言うと将棋とか囲碁のクラブです。この老人クラブは地元と移住者が交わるよい機会になっております。

3.交通手段、車
交通は不便です。川崎にいる頃は何処かに出かけるのに時刻表を気にすることはありませんでした。駅に着いて10分も待てば電車が来ます。
ここらでは東京に出るのに時刻表をJRのサイトで検索してからでかけます。1本逃すと1時間は待たなくてはなりません。駅の傍に駐車場を借りると月に3千円です。
市役所や郵便局は車でないと行けません。日常の買い物は幸いすぐ傍にスーパーがあります。車がないと生活できませんが、その車は軽トラックとか軽ワゴンが便利です。いまは2000CCのセダンに乗っていますが、いずれ軽に替えるでしょう。
海が近いので車はすぐに錆びるよと川崎時代に言われましたが、それほどではありません。場所に合わせてワックスがけなんかしません。いつも泥だらけで走っています。
だが港に停めるときはラジエータを絶対に海に向けて停めません。波は被らなくてもいつも細かい目に見えないしぶきが舞っているので、海にはお尻を向けて停めなさいと言われました。

4.人との距離感
これはきちんとした言葉があったと思いますが、人と人の間の空間的な距離は居心地の良い距離があって、それは文化的に違う、という本に書いてあったことです。それはともかく、
今住っている家から外を見回して人に姿を見ることはまったくありません。時たま畑に出ている人を見るくらいです。この辺りは立て込んでいる方ですが、それでも数百坪の広さの敷地に家があります。塀は槙の生け垣、あるいは何もありません。向いの何軒かは小さなお家がありますが、人が出入りしているのを見ることはありません。
だからほとんどの日常は数人の人に会うだけです。人と人の距離は非常にまばらです。人の体にしょうがなく当たるということは絶対にない空間に住んでおります。
そうなって思うのですが、都会に住んでいた頃は大変なストレスを感じていたのだろうということです。

5.千葉の人たち
千葉と言ってもいすみ市岬町の人たちでしょう。
とても親切です。和やかなお人たちです。子供たちは素直で、道であうと必ず挨拶します。道を徒歩で歩いていると、車を止めて声をかけて来ます。
何処まで行くのか、乗って行きますか?
しかし交通マナーは後進国です。全員がということでは決してありません。でもびっくりしたことをすこし。

  • 踏切の一旦停止は守らない。そして踏切を横断中に後ろを見ると停まらないでついてくる車がときどきあります。
  • 大きな道に出るときは一旦停止をしますが、小さな道は剣呑です。ミラーがあっても突然出てくることがあります。
  • 横断歩道で人が待っていても車が止まりません。
  • 酒酔い運転が横行しています。飲み屋の前に車を止めて飲んでいるという昔の姿にお目にかかることがあります。あるトンカツ屋はビールを出すのを止めています。お客ともめるのが嫌なのでしょう。
ながながとありがとうございました。
次回は釣りの話題にしたいです。

2011年1月25日火曜日

ヒラメ、太東港

太東港ではときどきヒラメが釣れます。
海が荒れたあとがどうも狙い目のようです。
先週は75センチの大物をとった人がいます。でもひと月に片手くらいですからあまり期待して遠くからくるような場所ではありません。
だが一昨年は1日に7枚ものヒラメを上げた人がいたそうです。
ヒラメに限らず、タコ、蟹、アイナメ、夏のアジ、去年は特にカマスがそうでしたが、馬鹿みたいに穫れることがあるのです。漁師のイワシも舟が転覆するくらい穫れることがあるらしいのです。
要するに太東には居着きの魚はほんの少しで、大方は通りがかりの一見さんなんです。
でも写真のヒラメは一見さんではないようです。ここで生まれた太東の子供です。もちろん丁寧に痛みを感じないように針を外して返しました。

2011年1月22日土曜日

大寒、フナ釣り

一昨日が大寒でしたが、こちらは少し暖かくなったようです。
港で今年に入ってから私が観察しただけですが、ヒラメは4匹しか釣れていません(放流サイズは除いて)。一匹は70センチ超の大物でした。尻尾に針がかりしたので通常ならばらすところでしたが同行の方がギャングで針をかけ直してあげたそうです。しかし上手な人でないとばらしたでしょう。うねりが強くて防波堤のなかもかなり荒れている状態でした。
蟹は今はまったく姿を見せません。アイナメも駄目、サヨリはほどほどです。勝浦に早朝から出かけた方がアジを見せびらかしていました。でも冬のアジはアジが落ちます。

プロの方は結構大きな4キロ超のヒラメが揚がっています。半分くらいが生け簀で残りは活き締めです。このヒラメ誰が食べるのでしょう。

海はそんな訳で寒いし獲物はないしで灯台の辺りを散歩して見つけた景色を紹介します。携帯ですからすこし飛んでいますが。この堰は浅くて30センチくらいです。隣のもっと大きな堰が堤防工事で浚ってしまったのでここで釣った魚をそちらに放流するのだそうです。
大きな堰は鯉もフナもバスも全部、居なくなったのでイチから増やそうということです。バスが居なくなったので今後は期待できるかも。
ついでにもうい一枚、このほこらは花が絶えません。活けてあるのはストックです。

2011年1月12日水曜日

太東のタコ

太東のタコはブランドだそうです。
値段も結構張ります。去年の暮れはタコの足が小売りで1本1000円しました。
だが去年はあまり芳しくなかったのです。それはすでに投稿した通りで、
たこ壷は千個近く用意するそうですが、入っているのは数匹だということでした。
しかし今年に入ってから急に活気づいて来ました。1艘の舟で300とか400キロの漁があります。1匹2キロとして800匹です。いま浜値が安くなってしまって、キロ千円くらいですから、四十万です。
陸揚げされたタコの写真を掲載します。ちょっと見物ですね。これ全部生きています。

2011年1月9日日曜日

藻くず蟹

今日は昼前から蟹釣りをしましたが、3時頃までは一回投げて一匹というペース、さより釣りもさっぱりの海でした。昨日辺りから風もうねりもまったくなくて、春の海、ひねもすのたりのたりかな、で釣りにとってはあまり良い条件ではありません。

それが3時過ぎ潮が動いてしばらくしてから一回に3匹のペースが続いて、夕焼けの終わりまじかに真っ黒な見慣れぬ蟹がとれました(写真)。

太東の堤防から釣りをしていたのと、あまり大きいのでびっくりしたのですが、詳しい人に聞くと藻くず蟹だそうです。写真では見えませんが卵を抱えていました。この蟹は産卵で川を下るのでいずれかの川から海に降りて来たのでしょう。

老人と海

土地の人によるとこの辺り、太東は漁業ではあまりふるわなかった土地だそうです。それに比べ大原はむかし紀伊半島から遠く黒潮にのって近海まで漁に来て大原の辺りで寝泊まりしていて、宿にそのまま居着いた漁師なのだそうです。実は伊豆半島の河津のあたりでも漁師は和歌山の人たちです。というか和歌山の法人が今井浜の沖の巾着網の株をかって操業しているのです。だから河津の寿司屋に行くと和歌山弁が聞けます。

それはともかくとして、元からの太東の漁師はからきし意気地がなくて少し時化ると漁に出ないが、大原の紀伊半島から来た漁師は舟に長けていて少しくらいの嵐は苦にしなかったそうです。それはこの辺りの海は食うに困らない豊かさがあったので余計なことはしなかっただけだと思いますが(タコ、アワビ、伊勢エビが良く採れたそうです)。

前置きが長くなりましたが、釣り友達から紀伊半島の漁法をまなんで先進的な漁を試みている漁師が太東にもいるということを小耳に挟んでいました。最近、すこし訛りの違う船長が居るのに気がつきました。しかもこの船長、パジェロで港にきます。この辺りの漁師は一部を除いて会話に不器用な人が多いので、おそるおそる声をかけたんです。「船長、言葉の訛りがこの辺りと違いますね」で会話を始めたのです。

船長は生まれは青森で、お兄さんはそちらで漁師だそうです。船長は東京で会社勤めをしていて退職してから、こちらで漁師になった、いわば老後の漁師と言う訳です。俺たちが頑張ったから今の日本がある。老人が増えたからといってなにを騒ぐんだ、この老人たちがまた頑張れば日本はもっと良くなるという、話の概要はそういうことでした。

いま日本では老齢化が問題になっていますが、ややもすると姨捨山的な議論が多いのではないだろうか、あえてブログに掲載。


2011年1月1日土曜日

太東港の正月

お正月らしく晴れやかな空、静かな田園風景ですが、海はまったく異なり荒れ狂っておりました。普段の釣り場には砂と波が押し寄せて近寄ることすらかないません。
いつもはお正月は釣り人で賑わうそうですが、今年は閑散としてます。
海は泡立っています。空はのどかな雰囲気です。

北風で飾り旗がなびいていました。漁が好転するとよいのですが。

白灯台の下は好釣り場ですが。