2011年3月15日火曜日

原子力発電のリスク

釣りと多いに関係があります。
海がきれいでないと釣りにならないからです。もうすこし踏み込むと自然との営みが釣りだからです。
原子力発電は自然には存在しないエネルギーを人類の英知を尽くして作り出した筈なんですが、いま起こっている様々な事象はあまりにも片手落ちというか思慮に欠けた結果ではないか。
子供が模型飛行機をつくって空に放ったのに手元に戻す方法を考えていなかったようなものです。官房長官はしきりに管理したもとで、と言っているがはたしてそうだろうか。4号機の給水エンジンが別の作業をして戻ってみたら燃料がなくなっていたという。これでは管理された復旧作業とはいえまい。命の危険を晒して実作業をしている人たちが管理されているとは思えない。人の命をなんだと思っているのだろう。東京電力がである。
計画停電も同様です。あれはとても計画停電とは言えない。大規模停電が恐くておろおろしているだけで無計画停電です。事故時の体制がまったくできていなかったことを露呈した。
今回の地震のマグニチュード9というのはたしかに想定外なのでしょう。しかし高さ10メートル強の津波も想定外なのでしょうか。マグニチュード9を超える地震はすでに起きているし高さ10メートルの津波は明治三陸地震で軒並み起きている。大船渡では22.4mを記録している。
十分に予測可能な地震と津波なのである。それなのに原子力発電所をそこに作ったのです。原子力発電をするための想定外ではなかったのか。
じゃ何故作ったのか、買う人がいるから、需要があるから、作ることができるから作ったとしか思えない。作った電力はもちろん産業を興したり生活を支えるために必要だったのでしょう。しかし野球を夜やったり、銀座や歌舞伎町の競わんばかりの光の洪水、不夜城をつくったのです。
これは奴隷制に支えられたローマのコロシアムに比較することができます。その奴隷制は今は何が相当するのでしょう。自然破壊ではないでしょうか。


百歩譲って、今回の地震は想定外だったとしましょう。だが想定外のことが起こるとこういう無様な結果になるというのはどうしたことでしょう。
リスク管理の専門家ではありませんが、リスクはそのことの起こる確率と起こったときの損害を掛け合わせたものです。非常に小さな確率であっても起こった結果の損害が大きければ非常に高いリスクがあるので、そのための対策を考えなければならないでしょう。
どうも想定外というのは、その先のことは考えないという想定外のようです。
1960年代から70年代にかけて、その後も原子力発電については安全性の面から反対する意見が原子力研究所(いまの独立行政法人原子力開発機構)の専門家のなかにもあったように記憶しております。
原子力発電や核のエネルギーの利用はこれからの時代に絶対に必要なのでしょう。どうか日本人の優れた英知を結集してこの恐ろしい経験を世界のために活かして欲しいとおもいます。



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