2011年1月9日日曜日

老人と海

土地の人によるとこの辺り、太東は漁業ではあまりふるわなかった土地だそうです。それに比べ大原はむかし紀伊半島から遠く黒潮にのって近海まで漁に来て大原の辺りで寝泊まりしていて、宿にそのまま居着いた漁師なのだそうです。実は伊豆半島の河津のあたりでも漁師は和歌山の人たちです。というか和歌山の法人が今井浜の沖の巾着網の株をかって操業しているのです。だから河津の寿司屋に行くと和歌山弁が聞けます。

それはともかくとして、元からの太東の漁師はからきし意気地がなくて少し時化ると漁に出ないが、大原の紀伊半島から来た漁師は舟に長けていて少しくらいの嵐は苦にしなかったそうです。それはこの辺りの海は食うに困らない豊かさがあったので余計なことはしなかっただけだと思いますが(タコ、アワビ、伊勢エビが良く採れたそうです)。

前置きが長くなりましたが、釣り友達から紀伊半島の漁法をまなんで先進的な漁を試みている漁師が太東にもいるということを小耳に挟んでいました。最近、すこし訛りの違う船長が居るのに気がつきました。しかもこの船長、パジェロで港にきます。この辺りの漁師は一部を除いて会話に不器用な人が多いので、おそるおそる声をかけたんです。「船長、言葉の訛りがこの辺りと違いますね」で会話を始めたのです。

船長は生まれは青森で、お兄さんはそちらで漁師だそうです。船長は東京で会社勤めをしていて退職してから、こちらで漁師になった、いわば老後の漁師と言う訳です。俺たちが頑張ったから今の日本がある。老人が増えたからといってなにを騒ぐんだ、この老人たちがまた頑張れば日本はもっと良くなるという、話の概要はそういうことでした。

いま日本では老齢化が問題になっていますが、ややもすると姨捨山的な議論が多いのではないだろうか、あえてブログに掲載。


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