2011年2月6日日曜日

千葉に越して1年

千葉に越してきて1年経ちました。
ここらで総括しておくのも良いかなとおもいます。
これから移住してくる方の参考にでもなればという思いもあります。

1.移住者
引っ越して来て最初に出会った言葉が移住者です。その移住者はいずれも都会で仕事をして引退、もしくはそれに近い形で移って来た都会人です。移住者というのは、それを迎えた地元の人たちから見た言葉です。となりのお年寄りは、疎開して来た人たちと申しておりました。

移住者と在来の人たちの間に目に見えない垣根があります。特に私の世代は子供時代に田舎に疎開した経験や友人からその話を聞いております。だがこのような意識は呪縛のようなものだとおもって、こちらは意識しないように近所の付き合いをしました。私はうまい具合に進んでいるのだと思います。
どの移住者も同じような思いはあるので、そんな話を移住者同士で話すことがありました。皆の話しによると、この辺りでも垣根の高さが大分違うようです。この岬町は垣根が低くて、もっと奥の国吉あたりではかなり垣根が高いそうです。
岬町はそういう意味で開かれた土地で、それは海に近い所為かもしれません。

2.老人クラブ
釣りが好きなので、犬の散歩もかねて港には毎日でかけます。そこで釣りをしているのは地元の人もたくさんいますが、移住者も多いです。
そこで気がついたのですが、ゴルフとかそういった遊びをする人はあまりいなくて、いろんな遊びを知っています。パチンコも当然あるのですが、私から見ると、私が子供時代にやっていたような遊びを大人がやります。竹細工とか、植木とか、家の修理なんかもありますが、釣りは最たるものです。そんな遊び友達が集まって老人クラブのような感じになっています。土地の人と一緒に布袋竹の竹林にいって杖を作って来た友人がいます。こんどは尺八をつくるので一緒にやらないかと誘われます。
都会で言うと将棋とか囲碁のクラブです。この老人クラブは地元と移住者が交わるよい機会になっております。

3.交通手段、車
交通は不便です。川崎にいる頃は何処かに出かけるのに時刻表を気にすることはありませんでした。駅に着いて10分も待てば電車が来ます。
ここらでは東京に出るのに時刻表をJRのサイトで検索してからでかけます。1本逃すと1時間は待たなくてはなりません。駅の傍に駐車場を借りると月に3千円です。
市役所や郵便局は車でないと行けません。日常の買い物は幸いすぐ傍にスーパーがあります。車がないと生活できませんが、その車は軽トラックとか軽ワゴンが便利です。いまは2000CCのセダンに乗っていますが、いずれ軽に替えるでしょう。
海が近いので車はすぐに錆びるよと川崎時代に言われましたが、それほどではありません。場所に合わせてワックスがけなんかしません。いつも泥だらけで走っています。
だが港に停めるときはラジエータを絶対に海に向けて停めません。波は被らなくてもいつも細かい目に見えないしぶきが舞っているので、海にはお尻を向けて停めなさいと言われました。

4.人との距離感
これはきちんとした言葉があったと思いますが、人と人の間の空間的な距離は居心地の良い距離があって、それは文化的に違う、という本に書いてあったことです。それはともかく、
今住っている家から外を見回して人に姿を見ることはまったくありません。時たま畑に出ている人を見るくらいです。この辺りは立て込んでいる方ですが、それでも数百坪の広さの敷地に家があります。塀は槙の生け垣、あるいは何もありません。向いの何軒かは小さなお家がありますが、人が出入りしているのを見ることはありません。
だからほとんどの日常は数人の人に会うだけです。人と人の距離は非常にまばらです。人の体にしょうがなく当たるということは絶対にない空間に住んでおります。
そうなって思うのですが、都会に住んでいた頃は大変なストレスを感じていたのだろうということです。

5.千葉の人たち
千葉と言ってもいすみ市岬町の人たちでしょう。
とても親切です。和やかなお人たちです。子供たちは素直で、道であうと必ず挨拶します。道を徒歩で歩いていると、車を止めて声をかけて来ます。
何処まで行くのか、乗って行きますか?
しかし交通マナーは後進国です。全員がということでは決してありません。でもびっくりしたことをすこし。

  • 踏切の一旦停止は守らない。そして踏切を横断中に後ろを見ると停まらないでついてくる車がときどきあります。
  • 大きな道に出るときは一旦停止をしますが、小さな道は剣呑です。ミラーがあっても突然出てくることがあります。
  • 横断歩道で人が待っていても車が止まりません。
  • 酒酔い運転が横行しています。飲み屋の前に車を止めて飲んでいるという昔の姿にお目にかかることがあります。あるトンカツ屋はビールを出すのを止めています。お客ともめるのが嫌なのでしょう。
ながながとありがとうございました。
次回は釣りの話題にしたいです。

2011年1月25日火曜日

ヒラメ、太東港

太東港ではときどきヒラメが釣れます。
海が荒れたあとがどうも狙い目のようです。
先週は75センチの大物をとった人がいます。でもひと月に片手くらいですからあまり期待して遠くからくるような場所ではありません。
だが一昨年は1日に7枚ものヒラメを上げた人がいたそうです。
ヒラメに限らず、タコ、蟹、アイナメ、夏のアジ、去年は特にカマスがそうでしたが、馬鹿みたいに穫れることがあるのです。漁師のイワシも舟が転覆するくらい穫れることがあるらしいのです。
要するに太東には居着きの魚はほんの少しで、大方は通りがかりの一見さんなんです。
でも写真のヒラメは一見さんではないようです。ここで生まれた太東の子供です。もちろん丁寧に痛みを感じないように針を外して返しました。

2011年1月22日土曜日

大寒、フナ釣り

一昨日が大寒でしたが、こちらは少し暖かくなったようです。
港で今年に入ってから私が観察しただけですが、ヒラメは4匹しか釣れていません(放流サイズは除いて)。一匹は70センチ超の大物でした。尻尾に針がかりしたので通常ならばらすところでしたが同行の方がギャングで針をかけ直してあげたそうです。しかし上手な人でないとばらしたでしょう。うねりが強くて防波堤のなかもかなり荒れている状態でした。
蟹は今はまったく姿を見せません。アイナメも駄目、サヨリはほどほどです。勝浦に早朝から出かけた方がアジを見せびらかしていました。でも冬のアジはアジが落ちます。

プロの方は結構大きな4キロ超のヒラメが揚がっています。半分くらいが生け簀で残りは活き締めです。このヒラメ誰が食べるのでしょう。

海はそんな訳で寒いし獲物はないしで灯台の辺りを散歩して見つけた景色を紹介します。携帯ですからすこし飛んでいますが。この堰は浅くて30センチくらいです。隣のもっと大きな堰が堤防工事で浚ってしまったのでここで釣った魚をそちらに放流するのだそうです。
大きな堰は鯉もフナもバスも全部、居なくなったのでイチから増やそうということです。バスが居なくなったので今後は期待できるかも。
ついでにもうい一枚、このほこらは花が絶えません。活けてあるのはストックです。

2011年1月12日水曜日

太東のタコ

太東のタコはブランドだそうです。
値段も結構張ります。去年の暮れはタコの足が小売りで1本1000円しました。
だが去年はあまり芳しくなかったのです。それはすでに投稿した通りで、
たこ壷は千個近く用意するそうですが、入っているのは数匹だということでした。
しかし今年に入ってから急に活気づいて来ました。1艘の舟で300とか400キロの漁があります。1匹2キロとして800匹です。いま浜値が安くなってしまって、キロ千円くらいですから、四十万です。
陸揚げされたタコの写真を掲載します。ちょっと見物ですね。これ全部生きています。

2011年1月9日日曜日

藻くず蟹

今日は昼前から蟹釣りをしましたが、3時頃までは一回投げて一匹というペース、さより釣りもさっぱりの海でした。昨日辺りから風もうねりもまったくなくて、春の海、ひねもすのたりのたりかな、で釣りにとってはあまり良い条件ではありません。

それが3時過ぎ潮が動いてしばらくしてから一回に3匹のペースが続いて、夕焼けの終わりまじかに真っ黒な見慣れぬ蟹がとれました(写真)。

太東の堤防から釣りをしていたのと、あまり大きいのでびっくりしたのですが、詳しい人に聞くと藻くず蟹だそうです。写真では見えませんが卵を抱えていました。この蟹は産卵で川を下るのでいずれかの川から海に降りて来たのでしょう。

老人と海

土地の人によるとこの辺り、太東は漁業ではあまりふるわなかった土地だそうです。それに比べ大原はむかし紀伊半島から遠く黒潮にのって近海まで漁に来て大原の辺りで寝泊まりしていて、宿にそのまま居着いた漁師なのだそうです。実は伊豆半島の河津のあたりでも漁師は和歌山の人たちです。というか和歌山の法人が今井浜の沖の巾着網の株をかって操業しているのです。だから河津の寿司屋に行くと和歌山弁が聞けます。

それはともかくとして、元からの太東の漁師はからきし意気地がなくて少し時化ると漁に出ないが、大原の紀伊半島から来た漁師は舟に長けていて少しくらいの嵐は苦にしなかったそうです。それはこの辺りの海は食うに困らない豊かさがあったので余計なことはしなかっただけだと思いますが(タコ、アワビ、伊勢エビが良く採れたそうです)。

前置きが長くなりましたが、釣り友達から紀伊半島の漁法をまなんで先進的な漁を試みている漁師が太東にもいるということを小耳に挟んでいました。最近、すこし訛りの違う船長が居るのに気がつきました。しかもこの船長、パジェロで港にきます。この辺りの漁師は一部を除いて会話に不器用な人が多いので、おそるおそる声をかけたんです。「船長、言葉の訛りがこの辺りと違いますね」で会話を始めたのです。

船長は生まれは青森で、お兄さんはそちらで漁師だそうです。船長は東京で会社勤めをしていて退職してから、こちらで漁師になった、いわば老後の漁師と言う訳です。俺たちが頑張ったから今の日本がある。老人が増えたからといってなにを騒ぐんだ、この老人たちがまた頑張れば日本はもっと良くなるという、話の概要はそういうことでした。

いま日本では老齢化が問題になっていますが、ややもすると姨捨山的な議論が多いのではないだろうか、あえてブログに掲載。


2011年1月1日土曜日

太東港の正月

お正月らしく晴れやかな空、静かな田園風景ですが、海はまったく異なり荒れ狂っておりました。普段の釣り場には砂と波が押し寄せて近寄ることすらかないません。
いつもはお正月は釣り人で賑わうそうですが、今年は閑散としてます。
海は泡立っています。空はのどかな雰囲気です。

北風で飾り旗がなびいていました。漁が好転するとよいのですが。

白灯台の下は好釣り場ですが。