2011年1月25日火曜日

ヒラメ、太東港

太東港ではときどきヒラメが釣れます。
海が荒れたあとがどうも狙い目のようです。
先週は75センチの大物をとった人がいます。でもひと月に片手くらいですからあまり期待して遠くからくるような場所ではありません。
だが一昨年は1日に7枚ものヒラメを上げた人がいたそうです。
ヒラメに限らず、タコ、蟹、アイナメ、夏のアジ、去年は特にカマスがそうでしたが、馬鹿みたいに穫れることがあるのです。漁師のイワシも舟が転覆するくらい穫れることがあるらしいのです。
要するに太東には居着きの魚はほんの少しで、大方は通りがかりの一見さんなんです。
でも写真のヒラメは一見さんではないようです。ここで生まれた太東の子供です。もちろん丁寧に痛みを感じないように針を外して返しました。

2011年1月22日土曜日

大寒、フナ釣り

一昨日が大寒でしたが、こちらは少し暖かくなったようです。
港で今年に入ってから私が観察しただけですが、ヒラメは4匹しか釣れていません(放流サイズは除いて)。一匹は70センチ超の大物でした。尻尾に針がかりしたので通常ならばらすところでしたが同行の方がギャングで針をかけ直してあげたそうです。しかし上手な人でないとばらしたでしょう。うねりが強くて防波堤のなかもかなり荒れている状態でした。
蟹は今はまったく姿を見せません。アイナメも駄目、サヨリはほどほどです。勝浦に早朝から出かけた方がアジを見せびらかしていました。でも冬のアジはアジが落ちます。

プロの方は結構大きな4キロ超のヒラメが揚がっています。半分くらいが生け簀で残りは活き締めです。このヒラメ誰が食べるのでしょう。

海はそんな訳で寒いし獲物はないしで灯台の辺りを散歩して見つけた景色を紹介します。携帯ですからすこし飛んでいますが。この堰は浅くて30センチくらいです。隣のもっと大きな堰が堤防工事で浚ってしまったのでここで釣った魚をそちらに放流するのだそうです。
大きな堰は鯉もフナもバスも全部、居なくなったのでイチから増やそうということです。バスが居なくなったので今後は期待できるかも。
ついでにもうい一枚、このほこらは花が絶えません。活けてあるのはストックです。

2011年1月12日水曜日

太東のタコ

太東のタコはブランドだそうです。
値段も結構張ります。去年の暮れはタコの足が小売りで1本1000円しました。
だが去年はあまり芳しくなかったのです。それはすでに投稿した通りで、
たこ壷は千個近く用意するそうですが、入っているのは数匹だということでした。
しかし今年に入ってから急に活気づいて来ました。1艘の舟で300とか400キロの漁があります。1匹2キロとして800匹です。いま浜値が安くなってしまって、キロ千円くらいですから、四十万です。
陸揚げされたタコの写真を掲載します。ちょっと見物ですね。これ全部生きています。

2011年1月9日日曜日

藻くず蟹

今日は昼前から蟹釣りをしましたが、3時頃までは一回投げて一匹というペース、さより釣りもさっぱりの海でした。昨日辺りから風もうねりもまったくなくて、春の海、ひねもすのたりのたりかな、で釣りにとってはあまり良い条件ではありません。

それが3時過ぎ潮が動いてしばらくしてから一回に3匹のペースが続いて、夕焼けの終わりまじかに真っ黒な見慣れぬ蟹がとれました(写真)。

太東の堤防から釣りをしていたのと、あまり大きいのでびっくりしたのですが、詳しい人に聞くと藻くず蟹だそうです。写真では見えませんが卵を抱えていました。この蟹は産卵で川を下るのでいずれかの川から海に降りて来たのでしょう。

老人と海

土地の人によるとこの辺り、太東は漁業ではあまりふるわなかった土地だそうです。それに比べ大原はむかし紀伊半島から遠く黒潮にのって近海まで漁に来て大原の辺りで寝泊まりしていて、宿にそのまま居着いた漁師なのだそうです。実は伊豆半島の河津のあたりでも漁師は和歌山の人たちです。というか和歌山の法人が今井浜の沖の巾着網の株をかって操業しているのです。だから河津の寿司屋に行くと和歌山弁が聞けます。

それはともかくとして、元からの太東の漁師はからきし意気地がなくて少し時化ると漁に出ないが、大原の紀伊半島から来た漁師は舟に長けていて少しくらいの嵐は苦にしなかったそうです。それはこの辺りの海は食うに困らない豊かさがあったので余計なことはしなかっただけだと思いますが(タコ、アワビ、伊勢エビが良く採れたそうです)。

前置きが長くなりましたが、釣り友達から紀伊半島の漁法をまなんで先進的な漁を試みている漁師が太東にもいるということを小耳に挟んでいました。最近、すこし訛りの違う船長が居るのに気がつきました。しかもこの船長、パジェロで港にきます。この辺りの漁師は一部を除いて会話に不器用な人が多いので、おそるおそる声をかけたんです。「船長、言葉の訛りがこの辺りと違いますね」で会話を始めたのです。

船長は生まれは青森で、お兄さんはそちらで漁師だそうです。船長は東京で会社勤めをしていて退職してから、こちらで漁師になった、いわば老後の漁師と言う訳です。俺たちが頑張ったから今の日本がある。老人が増えたからといってなにを騒ぐんだ、この老人たちがまた頑張れば日本はもっと良くなるという、話の概要はそういうことでした。

いま日本では老齢化が問題になっていますが、ややもすると姨捨山的な議論が多いのではないだろうか、あえてブログに掲載。


2011年1月1日土曜日

太東港の正月

お正月らしく晴れやかな空、静かな田園風景ですが、海はまったく異なり荒れ狂っておりました。普段の釣り場には砂と波が押し寄せて近寄ることすらかないません。
いつもはお正月は釣り人で賑わうそうですが、今年は閑散としてます。
海は泡立っています。空はのどかな雰囲気です。

北風で飾り旗がなびいていました。漁が好転するとよいのですが。

白灯台の下は好釣り場ですが。

蜃気楼

年が改まりました。
どなたも、おめでとうございます。
さて初めての外房の日の出はどんなものかと港にでました。
そこで蜃気楼にお目にかかりました。このあたり釣りをしているとときどきありもしない建物が遥かに見えることがあります。
きょうは初日の出の直前に現れました。暗いので少しぶれていますが。おまけに波しぶきです。